東京都現代美術館がリニューアルオープン!
ずっと気になっていた工事がいよいよ終わります。東京都現代美術館の大規模改修工事が・・・。長かった。通りがかるたびに気になっていた。
調べてみると、3年間工事をしていたそうです。2019年3月29日にリニューアルオープンします!
もともと、現代美術の振興を目的として開館されている美術館。現代美術が気になっているが、まだ一度も足を運んだことがない自分としては待ち遠しかった。
今回改修を終え、施設の中も大きく様変わりしたようです。
- 設備機器の更新、エレベーターの増設など利用者へのサービス向上
- 美術館の敷地内に新しいサインの設置
- パブリックスペースの整備
- 美術図書室の改修
特に、気になるのは新しいサインの設置とパブリックスペースの整備。これは、木場公園のように普段使いをしてもらえる美術館がコンセプト。来館しやすい環境を意識していて、個人的にはとても楽しみです。
レストラン・カフェラウンジなども併設されているので、ゆっくり過ごすスペースとしても活用できそうです。
リニューアルオープンに合わせて、企画展とコレクション展が開催されます。
- 企画展 百年の編み手たち ー流動する日本の近現代美術ー
- コレクション展 ただいま/はじめまして
どちらも、コレクションにある作品が中心となって構成されている展覧会となります。
詳細を見ても、正直ピンとこないので実際に見てやろうと思います。社会的な背景や実験的に制作された作品もあるんだろうと期待しているものの、どのように展開されるのか興味が湧きます。
本音を書くと、ほぼ作家さんの名前を知りません。1910年以降の作品だそうで、その社会的背景というと、高度経済成長期やバブルがあったことがすぐに思い出されます。その中で何を考え、どんな作品を制作した作家さんがいるのか。
多分、この間のVOCA展同様、時間的な距離感は近いです。話に聞いている分だけ社会的背景はイメージできる部分があると思います。そこに、何か感じるものがあるといいなと思います。
美術に対して関心を持って、知識的には足らない部分がある中で感じ取れることが一つでもあることを期待しています。
また、感想を書きたいと思います。
ちなみに、明日リニューアルオープン当日は無料で入館できるそうです!
現代アートの印象が変わった「VOCA展」
昨日の「東寺」の展覧会を見終わってから、上野の森美術館へ。「VOCA展が良いよ」と、どなたかは忘れましたが、Twitterで見かけたのがきっかけでした。
受付でチケットを買い、中へ。全て見終わった感想は、「面白い」。それは、「写真で見た作品と本物が持つ印象が全く違う」という展覧会にはよくあることが実感できたことと、今だからできる表現方法が見れたこと。
「こんな作品もあるんだ」と日常では見ることがないような作品があったのも良かったポイントです。
VOCA賞をはじめ、賞を取っているどの作品も想像していたサイズよりも大きく、表現したい内容がわかりやすいと感じました。タイトルから想像する意味が理解しやすくなっています。
個人的に、クスミエリカさんとKOURYOUさん、あとはチョン・ユギョンさんが良かった。
やわらかな絵画 内海聖史 個展
こちらは、無料のギャラリーで開催されていました。過去VOCA賞を受賞していらっしゃるそうです。毎年、受賞した方が個展をやっているようです。
色使いが個人的には好きでした。雰囲気が柔らかくそして穏やかさを感じました。
まとめ
足を運んでみて良かったと思いました。今のアートってこういう感じなのかと思うこともそうですが、自分が良いと思うものを再認識できるのも良い機会だなと感じています。
作品などはどれもそうなのかもしれないですが、タイトルって大事だなって改めて感じるきっかけになりました。 見てから読めば、捉え方が変わるし。読んでから見ればタイトルを意識して追いながら見ることができる。
見るときには、いつも当たり前のようにやっていること。作り手になると、理解を促す重要なポイントになる。見に行った時には気にしてみることにする。
特別展 「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅」レポート
初日だけあって、人は多く全体的に年配の人が多かった。NHKでの放映やニュース、そして雑誌での告知もあったのでゆっくり観られないのでは?と思っていましたが、展示されている空間がゆったりしていたので問題ありませんでした。
展覧会は、全体的にわかりやすく、意識して仏像を観に行ったのが初めての自分でも楽しめる内容になっていました。空間が広く、じっくり間近で見られるような展示になっていました。
展覧会は第1章から第4章で構成。それがこちら。
第1章 空海と後七日御修法(ごしちにちみしほ)
密教を開いた空海の解説。肖像画や像・空海が書いた書から展示。密教で重要な七祖像や御修法でも利用する五鈷杵をはじめとした宝具、御修法で飾られる像の展示があります。
空海が書いた書の前には、人だかりができ今でもその書家としての印象が色濃く残っているのを感じました。じっくり見ることが出来なかったです。
肖像画はところどころ薄くなっていて色が薄くなっていたり、歴史を感じさせます。時代の雰囲気は感じ取れました。先に進むと儀式を再現したスペースがあり、様子が垣間見えます。
儀式でも使われる法具「金剛盤」・「五鈷鈴」・「五鈷杵」。重みを感じ、しっかりとした細部まで丁寧に制作されています。歴史を感じるデザインではあるんであり、丁寧に管理されているのもわかりました。展示されていた法具は中国から空海が持ち帰った品。
第2章 真言密教の至宝
東寺に残っている当時の文化を伝える至宝が展示。山水屏風など、こちらも欠損はあるものの綺麗な緑色が印象的でした。菩薩像、そして曼荼羅・鎌倉時代に流行した手のひらサイズの「愛染明王香合仏」の展示がありました。
この愛染明王香合仏は、木から彫り出されています。細かい仕事で当時は手作業。現在販売されているものとは全く違います。より細かく丁寧に、制作されています。
金銅シリーズは、歴史は9世紀と古いものの特段珍しさはなかった。さっと、見る程度でした。
第3章 東寺の信仰と歴史
八部衆の仮面、当時の天皇とのやりとりについての書などが展示されています。直径15cm以上に巻いてある書に関しては最初の部分が閲覧できるようになっていました。
東寺の歴史について書かれている文書や東寺で行われた儀式についての文書。一番自分が気になったのは、手で作る印を一つ一つ記した文書があったこと。密教特有なのかは知識不足のためわかりませんが、特徴的だなと感じました。
当時の文書はどれを見ても字が上手く、ところどころきちんと読むことが出来ました。
第4章 曼荼羅の世界
最後に登場するのが、見どころの一つ立体曼荼羅を構成する仏像15体です。他には曼荼羅の展示もありました。仏像は、360度から見れます。通常展示されている状態だと、足元とかがどうしても見辛かったりすると思うんですが、とても見やすかった。
帝釈天の写真撮影も出来ましたけど、帝釈天だけは後ろ姿を観ることが出来ませんでした。少し残念な気もしましたが、写真を撮って後にしました。
そして、天・明王・菩薩・如来についての説明もあり明王がヒンドゥー教から入ってきたものだとは知りませんでした。元々、印象が強い明王。今回見た明王も、足が6本あったり、シヴァ神を踏んづけていたりとインパクトが大きい仏像でした。
まとめ
東寺にある密教や歴史を伝えるものが理解しやすく展示されている展覧会です。
密教を知りたい方、さらには仏像が好きな方には絶対楽しめる展覧会となっています。仏像の魅力は何と言っても、表情とそして身を飾る装飾にあると思います。仏像によってはストーリーがあるもののあるので、その点も楽しめる一因となるでしょう。
午前中もしくは、他の人がご飯を食べる時間帯がオススメです。展覧会場には、少し休憩するスペースがあるので休みながら、じっくり楽しむこともできます。
ゆったりした気分になれたので、これはオススメです。
【読書感想】FACTFULNESS(ファクトフルネス)
今年に入ってから、現在でも売れている「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」
この本は圧倒的に読みやすく、わかりやすい。難しい言葉はなく、平易な言葉とグラフ。そして、作者の具体的なエピソードがふんだんに盛り込まれています。
内容は、思い込み・印象・イメージからくる本能的な判断ではなく、データを見て現在を見るとその違いが大きくずれていることがわかることに要約されます。10の思い込み(本能)からくる思い込み。質問を通して、認識する。その後、チャートやエピソードをふまえて解説されます。
著者であるハンス・ロスリングの人生経験に基づくエピソードはとても広い地域でのことにわたっていて、彼自身の失敗談も書かれている。命の危険に晒された経験なども、緊迫した空気があり、そうした行動のなかで得た教訓が自分としては大切なことだと、認識しました。
自分がこの本を読んで感じたのは、10の本能はどれも自分の生活の中で思い当たることがあるということ。
メディアを通じて知る情報を常時あることだと思い、不安を覚えたことがあることや仕事の中で得た情報をそのまま鵜呑みにして判断を間違ってしまったことなどがあります。
この本に書かれていることや自分の経験を元に考えると、メディアとの接し方は気をつけたほうが良いと判断されます。以前より、インターネット上などではメディア(テレビや雑誌など)に対する不信に関しても意見が流れることがありました。
事実や映像を一部切る取ることで、意味合いが変わってしまうこと。少し前に、事実が湾曲してしまうことが取りざたされていたように思います。雑誌などでは、一部の人のことがあたかも日本全体がそうであるかのように表現されていたこともあります。
そういったところから、得る情報や思い込みを強化してしまうことからさらなる誤解を生んでしまうことを避けるためには、やはり事実をきちんとみるとことが不可欠になります。
自分を基準に事実を見ることを考えると、自分の経験や接する人や環境によっても判断が変化するのではないかと思います。また、自分の知識によっても判断が変わります。そう考えると、しっかりと実際に起きていることを把握することが必要となります。
また、大きな規模(地域単位など)で起こっていることを事実として認識するためには、信頼の置ける機関(行政など)のデータを分析することが必要です。
それを知った上で判断し、行動を起こしていくことができると正確な判断を起こすことができるのではないかと思います。
自分が一人でできることなんてたかが知れていると思います。それは、意味がなく誰にとっても役に立たないことなのかも知れません。それでも、誰かの役に立つことが人間(その誰かにとっても、自分にとっても)必要なことは、明白なことだと思っています。
自分ができることをまた少し考えてみようと思うきっかけになりました。
音楽とインターネットの恩恵と矛盾。
生活を彩る音楽を考えてみようと思います。ただの雑談です。
音楽を聴く機会ってどんな時があるかと考えてみて、一番多いのが通勤の時。あとは、パソコンでの作業をしてる時になります。
良い音楽を探すように意識しています。本当に自分が聴きたい音楽を聴く。
これが大切なんだと思っていて、この間オリコンの週間ランキングをみたらほぼアニメの主題歌とか韓流アイドルの曲ばかりだったことがありました。
なぜなのか?売れている印象はありますが、やはりCDを買うことやお金を出してダウンロードするなどは若い世代が中心になっているのかと。
自分を振り返ってみると、最新の音楽ってところにはほぼ目がいかない。そして、昔から好きだったアーティストは解散、引退。再結成もしていますけど。
そのため、現在もうすでに持っているもしくは無料で聴けてしまうことが当たり前になっている。
邦バンドは認知度が高くかっこいいとは思うものの、消費(一時的に聴いて終わり)が大半で、最近のアーティスト聴いているのは米津玄師さんぐらいになってます。
そう考えると、年齢層や性別などの関係がなく認知度が高いアーティストのCDが売れる。また、CDというメディアが好きな人には売れるのかと。
若い頃ジャケ買いって自分の周りでは、流行りました。知らないアーティストでもジャケットが好みなだけで買ってみる。音楽は好きじゃない。必ず試聴してから買うようになる。たまにあたりがありますけど。当時はスマホないですから。
運試しです。選んでいるのも楽しかった。家に帰って聴いてげんなりするのもまた良いと今振り返れば思います。
あの手探りな感じが好きだった。
すこし距離がありました。自分が好きな音楽とメディアという存在があった分だけ。
それが今や、スマホ一つでジャンルを問わずほぼ聴くことができる。最新も音源や動画があればインターネット上で見ることができる。
それだけでも、グッと音楽が身近になったように思います。様々なことが身近になったことで、広がり出ること。これも生活の豊かさと言えるのでしょう。
聴く側である自分は、ありがたいと思います。一方、アーティスト側は著作権であったり権利関係で頭を悩ましている人もいるのでしょう。
CDが売れないことから、ライブを多くこなすことになっているとも聞きます。ライブが増えれば、ファンはアーティスト本人が観れることになるのでこれもファン目線ではとても良いことですけど。
音楽というカテゴリーが生活の中に現在馴染んでいる自分にとっては、今の環境は素晴らしいことです。
でも、アーティストの立場か見ると・・・と思ってしまうのも事実。なので、制約はありながらも、コレクションしたいと思うCDは購入しようと改めて思いました。
あぁ、でもCDプレイヤーが無い・・・。それも買わないといけないか。
そこに面白いと感じることができたら最高です!
今、身軽な生活に憧れている。
出来るだけものを減らして、快適な環境をキープで生きたらと思う。
雑多な生活を見直して整理していく。生活自体が整理されていくことが目標となる。
そこで流行っていた「ミニマリスト」ってなんだろうと・・・。
「ものを捨てられない・・・」「部屋が片付かない・・・」などの悩みを抱えて以前注目さえた断捨離とか、ミニマリストという考え方につながる。
これは、必然で置かれている状況が変わっていく中で、いくつかの課題を抱えて、散らかってしまう自分自身に冷静さと、聡明さを取り戻すことに他ならないのではと思う。
特に、自分のようにさまざまなことに関心を持ってしまう性分だと、まとまりがなく雑然とした生活を送ることになる。
これを改善したい。そのために少し考え行動を修正してみる。
キーワードは「ミニマル」。
ミニマルとは ミニマム(英: minimum)と語感はそっくりでも、英語では完全に区別して用いられる。 ミニマルは形容詞、ミニマムは形容詞としてだけでなく名詞としても使われる。 形容詞としては、ミニマルは単に「必要最小限」「最も小さい/少ない」という意味で使われ、ミニマムは「ある定められた範囲における最小限」を指す意味で使われる。 ミニマル - Wikipedia
「必要最小限」。ということは、自分にとって必要なものがわかっていないとできない。
このキーワードから、一つ一つのモノやコトをを見直すという行為につながる。これは、それ以前から流行になった断捨離にも通じる。
今、必要。使う予定があるもの。思い出のもの。煩わしさがなければ、所有する。
必要のないものを処分していくことを丁寧に見直すことは、新しくものを購入する時にもつながります。余計なお金もかからなくて良いことづくめのよう。
人間には、物事を簡略化することで把握しやすくするという部分があると言われています。物の管理が簡略化されるだけで余計にものを探したりするストレスが減り、それが良い効果をもたらす。
不用品を処分するということを考えれば、以前はブックオフやハードオフ。現在は、メルカリやヤフオクなど注目を集めるのもわかります。
明らかに、20年前に比べるとモノの流れが変わっていること。それだけ、社会の状況も変わっていると言えるだろう。
自分は「ミニマリスト」を体感するために財布を購入してみる。「お金の使い方」を見直すためにことも考えて。
今回購入した財布は、m+(エムピウ)の「straccio ストラッチョ」。 サイズは小さく、一般的なカードサイズでタバコよりも小さい。入れるものを見直すことによって、最小限持ち歩くことができるということ。
とても、おしゃれな感じがするけど、使ってみるとお札が出しづらい。そして、お札の折れ方に癖があるため自動販売機だと入れるのにもひっかかることが多々ある。小銭も少ししか入らない。
そういうものと割り切って、ICカードの活用。1週間に1度決まった金額を入れ、交通費と雑費でまとめて入れおく。これで、小銭は増えないし、お札の出し入れも減った。財布も軽く、出費の管理もしやすくなった。
本音では、キャッシュレスには少し不安があった。現金がどこでも使えて確実という安心感があったから。けれど、日常で不便がないどころかメリットが多いことを実感して考えを改める。経済的です。
こうして、社会的な流れを実感しながら一つ一つの行動や習慣を変化させていくことも大切なことだと思うのです。それが、今を生きていることになる。
昔の慣習が時代に合わなくなる理由の一つであり、そのきっかけは、社会の流れを意識しないことやその情報が少ないこと。地域によっては社会的な流れよりも慣習を優先させていた時代があったそうです。
こう考えていくと、やはり世の中の人も同様に社会的な流れの影響を受けて生活を営んでいるのだと実感します。これは、自分が好きな文化などに傾倒していくことも。これが今を生きる醍醐味なのかもしれないなと改め感じる。
自分は、離婚をしているものの娘が1人います。娘に対する自分を省みた時、まだまだ勉強をしないといけないと。仕事にしても、生活のことも。世の中のことも。人間関係も。自分が持つやりたいことを実現することも。
それは、父親としてというよりも一人の先に生きている人間として思うことでもあります。それは、私自身が長らく報われない努力をしてしまうことに嫌気がさして、「なぜ、生きているのか」がことあるごとに顔を出すことにありました。
私にとって、「なぜ生きているのか」なんてことは、いつまでも考えることではなく努力が報われないことを知ることで、努力をすることが基本だと考えることを、また努力するところを判断することにあると思います。
これだけ年齢を重ねても、未だに明確な答えはなく、人生を生きるということに対してこれが普遍であり正しいことなんだと言い切れることは知り得ません。それが、宗教でいう「悟り」に当たるのでしょうか?
古来から、日本人は合理的な側面を持っていると言われています。畳や襖のサイズが同じであることなどからも、規格を揃えることで普及がしやすい環境を作ることからもその片鱗をみることができます。
自分が、生活を合理性、ミニマルという言葉を基準に考えて行動をしたことも彼女にとって生活をコントロールすることが大切なことなんだと受け取ってもらえる時がきたらと思います。
一つの生活のあり方として。
自分にとって好きなものを大切にすることや、知識を得て自分にとって必要だと思ったことを意識して取り入れること。さらには、俯瞰をして削ぎ落とすことも必要だと認識することが、意識的に生活することに必要ではないかと。
特別展 「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅」を下調べ!
日々いろいろなことを考えたり行動したり、また世の中にあるものに刺激を受ける毎日を過ごしていると、たまには静かに過ごせる場所へ行きたいなと思うこともあります。
少し前は、意識的に神社に行ったり寺の境内を散歩したりしていました。神社やお寺では、何も考えずに手を合わせると心がスッとする感覚が好きです。
基本的には、特定の宗教や神社への参拝をしているわけではないので信仰心というと少し怪しいなと思うのですが、宗教には興味があります。
世の中には、さまざまな宗教があって有名な宗教であれば、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教など。
その中でも、私が今気になっているのが仏教です。以前読んだ本に仏教の考え方の一部を知り、納得ができるなと思ったのがきっかけです。
そんなところに、3月26日から特別展が開かれるということで、一度足を運ぼうと考えるに至りました。
特別展 「国宝 東寺ー空海と仏像曼荼羅」の見どころ
今回の目玉となっているのは、
15体の仏像、人気のある「日本一ハンサムな仏像」帝釈天も見ることができ、さらに写真も撮れるということで。帝釈天ほかの仏像もしっかりと見てきたい。
秘密の儀式にも関心がそそられます。現在も変わらず東寺で行われているということですが、流石に参加することはできないので、その雰囲気を味わいたいと思います。
東寺は「曼荼羅のお寺」と呼ばれることもあるぐらい、曼荼羅を多く保管しているそうです。中にはめったに見ることができない曼荼羅もあり、その一つが今回展示されるということだそうです。
この見どころは、今回の特別展だけのものなんでしょう。きっと。グッツなども充実していて、私がHPで気になったのは帝釈天をプリントしたTシャツでした。色がカラフルなのも、展示会の印象とは変わっていて良い感じです。
ついで、当時の歴史的な背景もおさらいしておきます。
そもそも東寺ってなに?
平安時代に、奈良から京都へ遷都されるにあたって創建されたお寺。都を守るため、 また奈良の寺院の力を封じ込めるために創建されたとする記述もある。
有名な五重の塔をはじめ、このお寺の敷地に建つ建造物にも意味があり、密教の教えを表している。 (伽藍配置)
伽藍(がらん) お寺の主要建物群などを指す。元は僧侶たちが修行等を行う清浄な場所
現在は、京都そして日本を代表とする観光スポットでもあります。
空海
遣唐使として2年の修行で密教を全て修め、東寺を根本道場として密教を広めていきました。密教を理解してもらうためには、造形物が不可欠との教えを守り、仏像や曼荼羅の制作の指導をする。弘法大師とも呼ばれ、信仰の対象ともなっている。
「弘法にも筆の誤り」とあるぐらいの書家としても有名。
書家として有名なことは知っていましたが、たった2年で密教を全て修めていることに驚きました。そこからは、曼荼羅などの制作を通して、また話をすることで密教を伝えて行ったのだなと思います。
鎮護という側面を持った東寺の役割を果たすことを考え、よりたくさんの人に密教をわかりやすく伝えていったのではないかと考えてしまいました。
立体曼荼羅にも同じく密教の思想が現れているということなので、きっと一度見ただけではもったいないと感じてしまうかもしれません。
平安時代は、不安定な情勢へ流れていく中だったことから浄土真宗への信仰を持つ人が多かったようです。それが、さらに拍車をかけてしまったのかもしれません。今生ではもう無理と思ってしまえば、人間が堕落し犯罪に手を染めてしまうこともあったのではないかと思います。(この辺、もう一度きちんと調べてみます。)
今は、低成長の時代ではあるものの新しいサービスが続々出てくることで未来を感じることができますし、歴史を見ることで姿勢を正すこともできると良い方向に捉えて行きたいと思います。